小学校一年生の塾選び。

すこし申し訳ない話になるんだけどこれから小学校に上がる子の為にも真実をさらしておこうと思う。小学校一年生になればだれもが本格的に、お勉強に向き合うことになる。そのなかでもちろん塾に行かせて少しでも学校の勉強に遅れないようにしたいと思うのはまあ当然だろう。だけど大手の個別指導はあまりオススメしない。いや、まじでちゃんと理由があるから聞いてほしい。
まずまず小学校一年生で習うことはなんだろうか?算数の数字の数えかたと、もうひとつはひらがなと、漢字だ。主に覚えなきゃいけないことはその二つだ。。で、算数の方は基本的に問題ない。リンゴが3こバナナが2こ、合わせて5個が教えられない講師はいない。普通の日本人の成人ならばおしえられる内容だ。

だけど問題は後者、漢字と平仮名だ。
なあんだ、小学校一年生の漢字なんて簡単だから教えられる🎵っておもうかもしれないが、基本的に塾の講師は習字の師範ではない。

何が言いたいかと言うと、これ中の人も見落しがちなんだけど、講師によって字の精度はまちまちなのだ。

普通に考えたら当たり前なのだが大手の、特に受験生を中心とする層の通う塾の先生は、児童にひらがなの書き方を教えるようにはできていない。そもそも採用試験にも平仮名や漢字の正しい書き方はでてこない。なかには、俺みたいなとんでもなく字の下手だけど勉強は教えられるやつも山ほどいる。だからまじで小学校一年生の子を塾にやるなら、幼児向けの公文とか、七田みたいな教室にやるほうが有益だ。。おやすみ新ユリの町

実際エッセイ

実際エッセイ
とにもかくにもエッセイ、、その人のスピーキング以外の英語りょくを図るならエッセイが有効なんじゃないかな。今日エッセイの書き方を教えていてなんかそう思った。この国は言葉の力を測るときに、よむほうに偏重しすぎなんだろうな。だから実際書かせてみるとやっぱり適切な表現力は身に付いていなかったりする。まあたしかに無理だよね、だって穴埋めばっかりだから。穴埋め式の問題はある程度パターンかされるからよほどでない限り暗記してれば解けるようになる。だけど作文とかエッセイはやっぱり今まで培った言葉の力がそのまま試されるからゴマカシが効かない。だからいざいきなり書きなさいって言われると普通に英語の勉強してきたんじゃ絶対かけないはず。英語教育はもっともっと書かせる練習をさせたほうがいいよな。まあ、ひとつそれをやるにあたって問題があるとすれば添削できる英語力を持った人がどれだけいるのかっ手はなしだけどね。。おやすみ

奇跡の時代だったあの頃を思い出してみる。

最近髪を伸ばしているんだけどストレートヘアで良かったと思う。天然パーマはどうもなんだか使い勝手が悪そうで、ストレートヘアでほんと良かった。ハゲもやだけど天パもやだ。

で、じぶんが英語の勉強はじめて留学をきめたころをおもいだしてみる。はじめてオーストラリアにホームステイしたのが2005年、高校留学を決めたのが2008ねんごろなんだけど、なんだかんだ平和だったよね、今みたいなコクサイ情勢だったら留学もしてないし、出来なかっただろうな、あの頃はみんながなかよく、はだのいろ国籍を越えて仲良くすることが正義だっていうのが建前かもしれないけど感覚としてしっかりみんながもってたから。どこにいてもなんだか安心だった。家族と周りの人達の支えのもと色んな国に行ったのはいい思いで。2013年のアメリカを最後にもう外国には行ってない。危なくて行きたくない。こんな時代が目の前に迫ってる何て知らずに、あの頃を、あの一番いい時代を謳歌できた世代だとおもう。できることは今やった方がいい。未来にはできなくなるかも知れないからの典型だよね。今しかできないことたくさんあるよねって前にお世話になったひとに言われたなあ。
兎に角いまできるのは言葉を大切に繋ぐこと。
根本は変わっていないつもり。人類は肌の色、言語、国籍に関係なく皆だれしも平等です。忘れないようにしよう。

埼玉はきらい

エッセイの書き方を教えなきゃいけなくなったから

こんばんわんこそば、、
題名の通りです。英語のエッセイの書き方をおしえなきゃいけなくなった。むむむ、、上の人には、昔ニュージーランドの高校でならったからわかりますよ!って言ったので兎に角やんなきゃならない。けど当時は夜中みんなで遊び回るのに忙しいダメな高校生だったから国語のくらすのライト先生のはなしもガーブ先生のはなしもろくに聞いちゃいなかったから正直そんな覚えてない。けどやらなきゃならないから英語エッセイの書き方を猛勉強してる。
あのとき無理矢理に書かされたエッセイをまあ一応は人のために役立てることができるということで、英語極めてきてよかったなとはまあおもう。あと、すごいおもうのが、英語圏のほうが正しい言葉にたいする意識は高いんじゃないかなあ。日本は生まれながらにして母国語が日本語ってきまってて、言葉=日本語=母国語なんだよね。だから母国語である日本語を日本人が話せて正しく使えるのは当たり前って意識が強い。これが国語をみんながないがしろにしちゃう一番の原因なんじゃないかな。日本語ネイティブの立場に日本人だっていうだけであぐらをかいているから正しい言葉がなかなか身に付かないし、子供に正しい言葉を教えようって考えにそもそもなりにくい言語圏なんだとおもう。
対して英語圏は言葉というのは正しく教育しないと正しくつかえるようにならないっていうかんがえがベースにある。だから学校でも正しいエッセイの書き方をあれだけ必死におしえるんじゃないかな。フランスなんかでは国が辞書を管理してるらしいよ。まあ賛否はあるかもだけどね、、おやすみ

サラリーマンを拒否して2年が経った

こんばんわ、2年前みんなが就活真っ只中のとき、絶対サラリーマンにならないと就活しなかったのを思い出す。正確には説明会とかには千葉時代の女友達にむりやり連れていかれたり、エントリーシートを無理矢理かかされて通過したりはしてたんだけど、どうにもこうにも会社員になりたくなかった。なりたくないというかなれなかった。うん自分の成人年齢とか思考力とか色々判断しても社会にでるなんてことは到底無理だった。まず、ものをなくす。定期をなくした回数は多分100回はこえるし、銀行印もなくすし通帳もなくす。いまはたらかしてもらってるところでも何回も書類はなくすし提出期限は守れない。
だから会社員になれるはずもないし、働くなんて夢のまた夢だった。
だからみんなが社会人一年目のころには対人能力を高めようと、変わったところで人と話す仕事をしながら実家から追い出されたままなんとか生きていた。そのときお世話になっていた偉い人には色々まなんだし、昔よりは上手く自分をだせるようになったから感謝している。んで、、いまは大学生にまじりながら塾で英語おしえてなんとか死なない程度のお金を得ながら生きている。
で、、本題はこっからで、やっぱり後悔していないんだよね。やっぱりサラリーマンにならなくてよかったとおもうんだわ。あの、ここでいうサラリーマンはいわゆるサラリーマンってはなしで、単に給料貰えばみんなサラリーマンってはなしじゃないからよろしくお願いいたします。
なんつーか、働くのは短時間の方がいい、男は働きすぎると臭くなるから。兎に角あさ清潔にしてもなんか夜にはこ汚くなってる。どう頑張っても汚くなる。あとたぶんだけど、サラリーマンが偉いと思わないんだよね、おれを育ててくれた両親ともサラリーマンじゃないから。実感がわかない。。
たぶん30すぎくらいまではこんな人生観なんだろうな。兎に角大人になれない毎日、遅れてきた反抗期は終わらない✨。

宇都宮線と高崎線

こんちくわ。再び電車ネタ投下します。
またまたダサい二つの近郊電車について、今日はおなししてみようとおもう。
じゃあ、そもそも宇都宮線高崎線はどこからどこまでを走っている路線なのか。まず、ちょっと宇都宮線はおいといて、、高崎線からいきたいと思います✨。
まず高崎線の始発駅はどこか、、これ上野駅じゃないんですよ。。東京駅でもないです。。
正式な高崎線の始発は、、大宮です!☺意外でしょ。。大宮から高崎までを高崎線とよびます。
で、、問題は宇都宮線なんだけど、、正式には宇都宮線という路線はありませんのです。
正式なろせんめいは東北本線。。なんだけど1980年代に東北本線っていう響きが田舎臭くて嫌だってことで、上野から栃木県の黒磯までを宇都宮線とよぶようにしたんだとさ。
だから高崎線は正式な路線名だけど宇都宮線は通称宇都宮線ってレベルのなまえなんだよね。

あと、最近生徒に読ませてる国語の教材で郊外っていう言葉が出てきたので解説しようとしたんだけどなかなか定義がむずかしいね。東京に近い町ってことなんだけど、成城学園前は郊外だっていう子もいるからなかなか定義が難しい。
ようは常磐線の松戸→取手東武線の草加→春日部
宇都宮線だと浦和→久喜 小田急向ヶ丘遊園→相模大野
京王線の調布→八王子くらいかなあ。
わらわら
飽きたからこのへんで、、