単語の覚え方を何通りか考えた

昨日は散々自主治療したわ。下北沢 成城 登戸で、、あと新百合ヶ丘。急行の止まる駅ほとんどで自主治療笑笑
まあそれだけ酒に弱いんだろうな。。鍛えてどうにかなるもんじゃないし、しばらくはノンアルコール生活にします。。
お酒もいいけども美味しいお茶がのみたいな。ハーブティーとか。うん。。
ところでよく質問受けるんだけど単語の覚え方なんだけど、、何通りかあるからしょうかいしていきます。
まずは音読音読音読ー!(安河内てつやふう)人間は音から入ってくる情報に反応しやすいから。ただ耳からの情報は忘れやすいって欠点もあるんだな。だからもうひとつ、目で見て覚える方法な。電車のなかで受験生が単語帳みてるあれ。あれも有用です。
ただこれもまた忘れやすいって欠点がある。。
で、、もうひとつ、多くの英語学習者が忘れがちなやり方がある。
それは、、
覚えたい単語を書き出すってこと、書いて書いて書きまくる。てを動かして得た知識はなかなか抜けないのよね。だからみんなもっと手を動かして単語を覚えた方がいいわよ。
スペルも覚えられるしな✨

金融とか證券の仕事を一年でやめるバカがよくいる気がする

バカなのだろうか、全く理解できないんだけど異論反論教えてほしい。同年代で金融、證券に就職したなあって思ったら、卒業しました!みたいな報告Facebookでよくみるけど、あれ何が目的なの?

ああいう結構激務な業界って長く勤めるから実績もついて給料もあがるんじゃないの?
なんか人生経験で!とかさくっと働いてさくっとやめるみたいな類いのもんとはちがうと思うんだけどどうなんだろ。

学生時代顔真っ赤にしながら必死に就活して一年がまんできないんなら最初から入ってやるなよ邪魔だろうから笑笑まじうける

ものを書くのに適した言語

題名の通りです。ものを書くのに適した言語、英語と日本語だとどちらがものを書くのに適しているのだろうか。ある程度しっかりつかえるようになってしまえば断然英語のほうが適しているように感じるなあ。ていうのもまず、私達一般人は文学者ではないので、ものを書く機会といえば、報告書とか学校の作文とか論文とかレポートくらいだ。
これらのものを書くのに一番求められるのは自分の主張をすることか、事実を簡潔にまとめることだよねー
日本語は細かな情景を表現するのにはてきしてるけど、自己主張をしたり簡潔にまとめたりするにはまあまあな欠陥言語だろうね、あいまいすぎるんだよ、表現の細かいバリエーションがありすぎるんだよ、なんでもっとシンプルにまとめられないかね、文法を笑笑
主語がないし、なくても通じるけどなんかたまに通じないし。だから昨日だかオトトイモ書いたかもだけど日本語の作文より英語の作文のほうがべんきょうなるんじゃねーかな。
まあ、母国語を大切にするのもだいじだけど、どうせそんなに英語やるなら国語も英語にしようぜ~☺☺

小学校一年生の塾選び。

すこし申し訳ない話になるんだけどこれから小学校に上がる子の為にも真実をさらしておこうと思う。小学校一年生になればだれもが本格的に、お勉強に向き合うことになる。そのなかでもちろん塾に行かせて少しでも学校の勉強に遅れないようにしたいと思うのはまあ当然だろう。だけど大手の個別指導はあまりオススメしない。いや、まじでちゃんと理由があるから聞いてほしい。
まずまず小学校一年生で習うことはなんだろうか?算数の数字の数えかたと、もうひとつはひらがなと、漢字だ。主に覚えなきゃいけないことはその二つだ。。で、算数の方は基本的に問題ない。リンゴが3こバナナが2こ、合わせて5個が教えられない講師はいない。普通の日本人の成人ならばおしえられる内容だ。

だけど問題は後者、漢字と平仮名だ。
なあんだ、小学校一年生の漢字なんて簡単だから教えられる🎵っておもうかもしれないが、基本的に塾の講師は習字の師範ではない。

何が言いたいかと言うと、これ中の人も見落しがちなんだけど、講師によって字の精度はまちまちなのだ。

普通に考えたら当たり前なのだが大手の、特に受験生を中心とする層の通う塾の先生は、児童にひらがなの書き方を教えるようにはできていない。そもそも採用試験にも平仮名や漢字の正しい書き方はでてこない。なかには、俺みたいなとんでもなく字の下手だけど勉強は教えられるやつも山ほどいる。だからまじで小学校一年生の子を塾にやるなら、幼児向けの公文とか、七田みたいな教室にやるほうが有益だ。。おやすみ新ユリの町

実際エッセイ

実際エッセイ
とにもかくにもエッセイ、、その人のスピーキング以外の英語りょくを図るならエッセイが有効なんじゃないかな。今日エッセイの書き方を教えていてなんかそう思った。この国は言葉の力を測るときに、よむほうに偏重しすぎなんだろうな。だから実際書かせてみるとやっぱり適切な表現力は身に付いていなかったりする。まあたしかに無理だよね、だって穴埋めばっかりだから。穴埋め式の問題はある程度パターンかされるからよほどでない限り暗記してれば解けるようになる。だけど作文とかエッセイはやっぱり今まで培った言葉の力がそのまま試されるからゴマカシが効かない。だからいざいきなり書きなさいって言われると普通に英語の勉強してきたんじゃ絶対かけないはず。英語教育はもっともっと書かせる練習をさせたほうがいいよな。まあ、ひとつそれをやるにあたって問題があるとすれば添削できる英語力を持った人がどれだけいるのかっ手はなしだけどね。。おやすみ

奇跡の時代だったあの頃を思い出してみる。

最近髪を伸ばしているんだけどストレートヘアで良かったと思う。天然パーマはどうもなんだか使い勝手が悪そうで、ストレートヘアでほんと良かった。ハゲもやだけど天パもやだ。

で、じぶんが英語の勉強はじめて留学をきめたころをおもいだしてみる。はじめてオーストラリアにホームステイしたのが2005年、高校留学を決めたのが2008ねんごろなんだけど、なんだかんだ平和だったよね、今みたいなコクサイ情勢だったら留学もしてないし、出来なかっただろうな、あの頃はみんながなかよく、はだのいろ国籍を越えて仲良くすることが正義だっていうのが建前かもしれないけど感覚としてしっかりみんながもってたから。どこにいてもなんだか安心だった。家族と周りの人達の支えのもと色んな国に行ったのはいい思いで。2013年のアメリカを最後にもう外国には行ってない。危なくて行きたくない。こんな時代が目の前に迫ってる何て知らずに、あの頃を、あの一番いい時代を謳歌できた世代だとおもう。できることは今やった方がいい。未来にはできなくなるかも知れないからの典型だよね。今しかできないことたくさんあるよねって前にお世話になったひとに言われたなあ。
兎に角いまできるのは言葉を大切に繋ぐこと。
根本は変わっていないつもり。人類は肌の色、言語、国籍に関係なく皆だれしも平等です。忘れないようにしよう。

埼玉はきらい

エッセイの書き方を教えなきゃいけなくなったから

こんばんわんこそば、、
題名の通りです。英語のエッセイの書き方をおしえなきゃいけなくなった。むむむ、、上の人には、昔ニュージーランドの高校でならったからわかりますよ!って言ったので兎に角やんなきゃならない。けど当時は夜中みんなで遊び回るのに忙しいダメな高校生だったから国語のくらすのライト先生のはなしもガーブ先生のはなしもろくに聞いちゃいなかったから正直そんな覚えてない。けどやらなきゃならないから英語エッセイの書き方を猛勉強してる。
あのとき無理矢理に書かされたエッセイをまあ一応は人のために役立てることができるということで、英語極めてきてよかったなとはまあおもう。あと、すごいおもうのが、英語圏のほうが正しい言葉にたいする意識は高いんじゃないかなあ。日本は生まれながらにして母国語が日本語ってきまってて、言葉=日本語=母国語なんだよね。だから母国語である日本語を日本人が話せて正しく使えるのは当たり前って意識が強い。これが国語をみんながないがしろにしちゃう一番の原因なんじゃないかな。日本語ネイティブの立場に日本人だっていうだけであぐらをかいているから正しい言葉がなかなか身に付かないし、子供に正しい言葉を教えようって考えにそもそもなりにくい言語圏なんだとおもう。
対して英語圏は言葉というのは正しく教育しないと正しくつかえるようにならないっていうかんがえがベースにある。だから学校でも正しいエッセイの書き方をあれだけ必死におしえるんじゃないかな。フランスなんかでは国が辞書を管理してるらしいよ。まあ賛否はあるかもだけどね、、おやすみ